豆柴のブログ

末端食口への情報公開を求めます。

つじつまの合う解釈

当ブログのカテゴリーを「家庭連合」に置き、随時情報の橋渡し的役割を担いたいと思い、このブログを始めた豆柴のブログです。

澤田地平氏のブログから
去る2017年12月10日の「真理を問う行動12.10」で澤田氏が解説している内容が的を得ていて、今までの疑問が綺麗に解けたような気がしました。というのは、なぜ、み言葉を変え、八大教材教本を廃止し、天一国国歌を変え、アボジの証しをしたがらないのか‥が今ひとつ具体的な理由がもう一つ足りないような気がしていたからでした。積年のアボジに対する心情の乖離、嫉妬、恨みがあったにせよ、宗教人であれば時間とともに許す心は自ずと現れてくるものです。しかし、オモニはアボジの伝統・痕跡を消し去る事を徹底しており、手を緩めていません。その中で、自分が6000年ぶりに生まれた無原罪の独生女だと証しした後になぜそれとセットでなければならないはずの独生子アボジの証がないのか疑問でした。かろうじて同じ無原罪で誕生された独生子イエス様は証しするが、その後のアボジの証しは無い。真の父母一体がたてまえならば、独生女の証しの後に当然独生子であるアボジの証しがあって当然だからです。しかしアボジよりもむしろ、イエス様とセットになっている感があります。私は単に韓氏オモニが「イエス様の再臨はアボジではなく自分」だと思っているからだと解釈していました。
ところが、澤田氏の今回の解釈では、綺麗にこれらの疑問を解いてくれました。いや、そうに違いないという確信に近いものです。
2012年1月18日のあの事件の相手は、「イエス・キリストのつもり」ではなかったかという驚愕の解釈です。これで全ての韓氏オモニの“アボジ後”の言動の謎が解けるのです。仮にイエス様と自分が祝福を受けたとするなら、当然アボジを排除せねばならなくなります。というか、むしろ邪魔になってくる。それが全ての韓氏オモニの行動となって現れているのです。天聖経の改ざんから始まり、成婚問答の改ざん、家庭盟誓の改ざん、天一国国歌の改ざん、天一国国旗の変更、天福函八大教材教本の廃版廃止、神様の呼称変更、原理本体論の禁止、祝福リングの自分だけのサイン、天聖経の自分だけのサイン、文師堕落の血統論、そればかりでなく、世界中のアボジが辿られた聖地を売却し、痕跡を残さない徹底した排除は、全てこの事から来ていると解釈出来ます。これは食口にとって本当に悲しむべき深刻な内容です。

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